家族の話は難しい family topic is difficult

最近思ったこと、家族の話は難しい。

私は思春期の頃に母親を亡くしている。

自分からそのことを積極的に伝えることはないけれど、日本で家族について聞かれたときに母親が亡くなっていることを言うと、大体謝られて、相手が気まずそうにする。それが私には申し訳なくて、お互い気まずくなる。

私にとっては、母親が亡くなっていることは普通のことだ。

もちろん一般的ではないとわかってはいるし、母親を亡くしてる分の苦労はあったかもしれないけれど、だからといって不幸ではない。私は自分の人生しか生きていないので、この人生が普通。いろいろあったけれど普通に生きてきました。

でも、申し訳なさそうにされると、母親を亡くしているのはただの事実なのに、言ってはいけないことのように感じる。

何気ない家族の話題に気を使う。

どうして気まずく思われるんだろう?

どうして私は謝られているんだろう?

Nowaday, I thougt talking about family is delicate.

When I was teenage, I lost my mother.

I don’t tell that actively. If someone asks me about my family, I tell. And then, anyone who was told says “I’m sorry” and feels awkward. I also feels awkward because my story spoiled the atmosphere.

It is ordinary for me that I lost my mother.

I realize it isn’t common and I needed to try hard, but I’m happy and my story is ordinary because I only live my own life.

When I notice someone feel sorry about my story, I thought I shouldn’t tell about my story even though it is just a fact. It is difficult for me.

A casual chat about family isn’t casual for me.

Why everyone feels sorry to me?

What made the atmosphere awkward?


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