「じゃあ一緒に死んじゃおっか」

母はあのとき私に言った。「じゃあ一緒に死んじゃおっか」と。

母が運転する密室の車で言われた。

高校生のときに母から志望する大学を聞かれた。私にとっては母がついてくるならどんな未来にも希望がなかったので、どんな大学でも大差なかった。

当時は、私の不幸の原因が母だとは思っていなかったし、ただこのまま何も感じず今のような空虚な人生が続くんだと諦めていた。それに母を傷つけたくはなかったので詳細は話さず「どの進路を選んでも変わらない。もうなんでもいい。」とだけ言った。

その私に母は「じゃあ一緒に死んじゃおっか」と言ってきた。

当時何も返事はしなかった。ただ、少しの怒りを自覚したことだけを覚えている。

ーーー

今ならその感情を言葉にできる気がしたから、思い出しながら書いている。

「冗談じゃない。」それが一番の感想だ。

母が病気になって、私に執着するようになった。

ご飯を作ってもらえるのは有難かったが、じっと私のことを見てきて、「おいしいよ」という言葉を急に求めてくるようになった。

ソファに座っていると隣に座って寄りかかってくることも増えた。

「あなたが大学生になって、社会人になったら、お母さんもあなたと一緒に住んで、家事をしてあげる」と嬉しそうに話した母が重荷だった。

学校の校舎を歩きながら「母はいつ死ぬんだろう」「母が早く死んでくれたらいいのに」と考えている自分に気付いて、自分を責めた。

ーーー

だから「一緒に死んじゃおっか」と言われて怒りを感じた。

あの言葉を言われたとき、「なんでお前と死ななきゃいけないんだ。」「死ぬなら一人で死ぬ。」と言ってやりたかった。母がいる生活が不幸なのに、なんで死んでまで一緒にいなくちゃいけないんだ。死ぬなら母か私のどちらかでいい。

ーーー

私は高校生のときに死んでもよかった。生きている理由も、未来を生きる希望もなかった。でも母をケアする人間が私以外にいなかった。母を悲しませるかもしれないと思った。それが私が死なない理由だった。

なのに、その母親が自分勝手に、私の命を軽んじて、「一緒に死んじゃおっか」と言ってきた。私はそのことに怒った。

ーーー

あのとき母は何を思ってそんなことを私に言ったんだろう。

ーーーーーーーーーーーーーー

親を恨みながら生きて行っていいのだろうか。

親を恨む私が悪くて、おかしいのだろうか。

頑張って育ててくれて、若くして死んだ親を憎む私は、人間性が欠けているのだろうか。

許さなくてはいけないんだろうか。

親を「許す」なんて考え自体が、傲慢なんだろうか。


Comments

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です