自分の人生の足を引っ張っている考え方は大きく2つある。
1.他人に自分の時間を使いたくない。
2.頭の悪い人間の意見は聞いてもらえなくて当たり前。
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高校生から5年間母のために時間を使った。自分のしたいこともできなかったし、学生生活を送れなかったし、勉強だって安心して出来なかった。
正直、母になんの問題もなければ、普通に学生生活を送れて昔のまま普通に人間関係を作れたと思う。それになにより、普通に東大にだって入れていたと思う。A判定だった。
それでも今まで支えてくれてた母を支えることが優先だと思って母に寄り添った。その結果母はだんだん私のことをいい加減に扱うようになって、八つ当たりしてもいいという存在になって、最期には「育て方を間違えた」と言われ、感謝の言葉もなかった。
母のためなんかに時間を使うべきじゃなかった。
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母を優先させて、自分の人生の優先順位を落としてしまったのは自分だけれど、その選択は間違いだったと心の底から思う。母を慕ってしまったことは人生最大のミスだった。
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学歴を落としてしまったことは私にとっては大きな影響があった。
まず、頭の悪い人間の意見はまともに取り合ってもらえないという価値観が私にあるからだ。
小、中、高での発言権は成績がいい人間ほどあった。成績が悪い、頭の悪い人間の不平不満は同級生や大人から無視されていた。私は中学生から急に良い成績を取るようになったので、その扱われ方の差は実感していた。
結婚してからもそうだ。
学歴は、私が自分自身を信じるために必要不可欠だったのだ。学歴があれば、他人から理不尽な扱いをされていると思ったら、自信を持って意見を言える。そしてその意見をまともに取り合ってもらえる。でも学歴がなく、他人からも(自分でも)自分の頭が悪いと思われている今は、自分が間違っていると考えてしまう。自分を守れる自信がない。
特に踏みとどまってしまうのは結婚だ。男尊女卑が残っている状況では、女にとって結婚は博打だ。男性と同じように勉強も仕事も頑張ってきているのに、女にだけ家事を押し付けてくる男性が大勢いる。このとき、男性の方が学歴が上で稼いでいた場合に何も言えなくなってしまう。女にとって学歴は、男性と対等になれる武器の一つだ。
父親が母親よりも学歴が良い両親の元で育った同級生の男の子が、母親のことを頭が悪い、社会を知らないと馬鹿にする発言を何度も聞いてきた。話を聞いていると、父親は仕事だけなのに対して、母親は家事も正社員もしているという話だった。家族から理不尽に馬鹿にされても奴隷みたいに家事も仕事もこなす。
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奴隷のような母親になるのが怖いなら、自分と同じ学歴の人と結婚すればいい。そう思ったこともあった。
けれど、私も自分の学歴を馬鹿にしているのだ。私が母親の介護をしながらでも入れてしまった程度の大学。
先入観が入ってた可能性も否めないが、大学の人と会話しても、なんとなく生きてきてなんとなく入ってきた、いい加減な人ばかりだった。地方出身の男尊女卑もたくさんいて、同じ学歴なのにこちらを下に扱ってくる人間もいた。ノリで平気で差別発言もする頭の悪い人ばかりだった。話が通じなかった。二度と関わりたくなかった。
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母のために時間を使わず、自分のために時間を使っていれば私の人生は違っていたかもしれない。違う人たちと出会えていたかもしれない。
母のために時間を使ってしまって、私は居場所をすべて失ってしまった。
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母に「子育てを失敗した」と言われて、母のために時間を使ってしまった自分を責めた。
母のために時間を使うと決めたのは自分なのに、母を恨んでしまう自分も責めた。
だから二度と他人のために時間を使わない。自分の時間はすべて自分のために使うと決めた。他人のために時間を使うのは馬鹿だと思った。
だから、ちゃんと他人と関わろうと思って行動している今、他人のために時間を使っている私に対して「やめろ」と言う自分がいる。他人に時間を使ったって損をするだけで、自分には何も残らなくなる。それがひたすらに苦しい。
人と関われるようにならなきゃと思う自分と、それを不安に思って止めてくる自分がいる。苦しい。他人と関わる度にストレスがかかる。他人と関わることが自分のためになるという、自分を納得させるだけの理由がなんでもいいからほしい。
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結婚に関しては自分が高学歴を取り直すか、学歴がなくても偉そうに自分の意見を主張できるふてぶてしさを自分が持てなければ、できるかもしれない。
ただお金を払って学ぶ場合、色んなリスクを背負う。社会に出る年齢が遅れるし、卒業するために勉強をしてまた人と関わらない生活に逆戻りする気がする。ただでさえ母の世話で5年間ほど周りの同世代よりも色んな経験が遅れているのに、さらに遅れるリスクを背負うには「高学歴がほしい」という理由だけでは足りない。前に進むための選択ではない気がする。そうしたらやはり「学歴なんて関係なく、自分の意見を言ってもいいし、尊重されるべきだ」と思えるように、人生をちゃんと前に進めながら訓練した方がいいのだと思う。
それがいつになるのか、本当にできるのかはわからないけど。やるしかない。
やらなきゃ一生私は自分の気持ちを「仕方がない」で蔑ろにする。
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