メモ取り星人

高校1年生で親戚の家に居候し始めてから半年ほど経った頃

朝起き上がれなくなる、深夜に動画を見ながら涙が止まらなくなるなどの症状が出ていた。その中でも一番困ったのが、人が話している言葉が、理解する前に頭から抜けていってしまうことだった。

学生としては致命的だった。

授業中も上の空で、誰かと会話する時は別の言語を聞いているようだった。

英語のリスニングテストみたいに注意深く聞こうとしても理解できなくて、相手の目を見て頷いて、理解しているフリをした。

若年性アルツハイマーになったんじゃないかと不安で、スマホで何度も検索した。当てはまっている気もするし、当てはまっていないと信じたい気持ちもあった。自分では判断ができなかった。

どこに相談したらいいかもわからなかった。身近な人に聞いても、大袈裟だと笑われるかめんどくさそうに呆れられると思った。おかしい人と思われて話を聞いてもらえなくなるのも怖かった。勉強ができない言い訳にも聞こえるかもしれないと思った。

どうすることもできないまま、テストの点数も目に見えて落ちていった。でもそれは、私がテスト勉強をしなかったからだと自分に言い聞かせた。周りの人にも勉強せず遊んでいるフリをした。私が馬鹿になったわけじゃないと、そう思い込みたくて、本当に勉強しなくなった。

どうせ授業を聞こうと頑張っても、内容が入ってこないなら意味がないとも思い、授業中はスマホをいじるようになった。

そうして、私は自分のプライドを守ろうとした。

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高校2年生になって、書かれた文字なら頭に入ることに気付いた。

それからは授業中の先生の話を必死になってノートに書いた。耳で聞いても理解できなかったが、聞こえる一音一音に集中して記号のように書き連ねれば、見返して文字列の意味を理解できた。

耳では理解できないけど、目では理解できると気付いたことは、私にとって唯一の希望だった。

また勉強を頑張ろうと思った頃、得意科目も変わったことに気付いた。

元々は数学が得意で、学校の授業さえ聞いていれば家でほとんど勉強をしなくても満点に近い点数が取れていたが、何も理解できなくなっていた。解説のメモを取っても、追いつけなくて数文字メモが抜けてしまうと解読が難しかったからだ。

その代わり、英語や歴史、国語などを好きになった。メモが数文字飛んでも理解できたし、検索すれば解説が文字として載っていたからだ。

数学も文字での解説はもちろんあるが、料理の手順みたいに複雑だった。手順が何個もあり、正しい順番でやらなきゃいけない。手順の1つ1つに意味があって、それらが繋がって初めて解き方として成り立つ。だけど、私のその時の頭では、意味を理解して、手順を繋げることができなくなっていた。ましてや制限時間がある中で解答を書きながら考えることがどうしてもできなかった。

今まで先生が解いている様子を見て聞いて、感覚でマネしてきた私では、この変化に対応することができなかった。

だから久々に理解できる英語や国語を見つけて、私は没頭した。文字を書いているだけで安心できた。

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文系科目が好きになったのに、私は理系進学を選んだ。

できる科目の変化には気付いたけど、認めたくなかった。自分の変化を受け入れられなくて、その間にも進路を決める期限が迫っていた私は焦ったまま理系進学を選んだ。自分はずっと数学が得意で、当たり前のように理系に進むとずっと思っていたから。

楽しく、安心できる英語と国語を選ぶのは逃げだとも思ってしまった。

世間でよく聞く、「国語とか好きじゃないけど、数学が苦手だから文系を選んだ」ことが逃げだと言っている人がいた。私が文系を選ぶとして、それは好きで選んでいるのか、できなくなった数学から目を逸らしたくて選んでいるのか、わからなかった。

文系のことを馬鹿にはしていない。ただ逃げとして文系を選ぶことはダメだと思った。

受験勉強はただただ苦しかった。

数学の解説を何度も紙に書いた。頭にまったく入ってこなかったが、続ければきっと理解できるはずだと思って書き続けた。でもいくら書いても頭が空っぽな自分を自覚して何度もめげた。

勉強の仕方が悪いのかと思って工夫して、やっぱりうまくいかなくて、本当に馬鹿になったみたいだった。

国公立コースに進んだことで倫政や国語、英語の授業があったのがせめてもの救いだった。文系の教科を何時間でも勉強したいけど、数学をやらなきゃいけないと自分に言い聞かせた。

大学に入学した後も、同じ地獄がずっと続いた。

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なんの病気かもわからないこの症状は強まったり弱まったりしながら何年も続いた。

10年以上経って社会人になった今もたぶん抜け出せてはいないと思う。

学生時代にも社会人になってからも、必死にノートを取る私を馬鹿にする人はいるけれど、やめることはできない。理解できないことの不安感を拭いたくて、今も必死にメモを取り続ける。


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